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zoom RSS 中山道歩き旅(第25回・その3)鳥居本〜高宮〜愛知川

<<   作成日時 : 2016/06/05 17:31   >>

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今回も4月2日〜3日に行った中山道歩きを紹介していきます。
1日目は柏原から鳥居本まで歩き米原に宿泊、続く2日目は鳥居本宿の続きから愛知川宿まで14kmぐらいを歩く予定です。

ということで、米原8:05発の近江鉄道の電車に乗り鳥居本駅には8:12に到着
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鳥居本駅の駅舎は昭和6年に建てられた洋風建築で、近畿の駅百選にも選ばれています。

鳥居本宿・後半
まずは本陣跡から前日の続きをスタート、静かな日曜日の朝の宿場町を歩いて行きます
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この日の天気は夕方前から雨が降る下り坂の予報で、午後早い時間には愛知川まで行きたい所ですね。

本陣跡の隣りが脇本陣と問屋跡ですが、本陣跡と同様に遺構はなく案内板があるのみです
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少し行くと前日に続き合羽所の建物があります
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ここは「松屋」という屋号で合羽所を営んでいた所で、屋根に合羽を形どった看板が掲げられていました。

この先の交差点の角には、桧皮葺きの屋根が乗った立派な常夜灯があります
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宿場の西側にも趣のある古い町並みが続いていて、朝から楽しい街道歩きです〜
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そして「左中山道・右彦根道」と刻まれた道標が建っている所が彦根の城下町と結ぶ彦根道との分岐で、このあたりが鳥居本宿西側出口だったようです
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彦根道はその先は安土〜近江八幡と、今の東海道本線と並行して野洲で中山道と再び合流する街道で、徳川家康が関ケ原合戦後の上洛の際に通った道です。
また、朝鮮通信使もこの道を使用したので「朝鮮人街道」とも呼ばれています。

鳥居本〜高宮
鳥居本宿を出ると景色は一変して田園地帯を行く道になります
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そんなのどかな風景の中を、新幹線が矢のように通過して行きました

その先は小野の集落で、東山道時代はここに宿駅が設置されていました
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またここは「小野小町」生誕の地とも言われていて、途中の名神高速の築堤下には「小野小町塚」という地蔵堂もあります
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「小野小町塚」の先で道は新幹線のガードをくぐっていきます
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この先しばらく行くと名神高速彦根ICの前を通りますが、その手前にあるのが原八幡神社
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境内には、松尾芭蕉がこの地で詠んだ「ひるかほに ひるねせうもの とこのやま」の句碑がある「ひるね塚」があります
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この句は中山道を往き交う旅人が境内で休んでいる光景を詠んだものですが、確かに木立が多く木陰は涼しくて休憩には良さそうな所でした。

彦根ICを過ぎた先の国道306号との正法寺町交差点には、多賀大社への道標と常夜灯があります
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鳥居本から1時間ほど歩いたので角のコンビニで休憩していたら、何やらポツポツと・・・
雨は午後からの予報でしたが、所々に雨雲が出て来ているみたいです。

正法寺町交差点からは県道528号になりますが、彦根市内の住宅地の中で交通量も多くなってきます
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県道を20分ほど歩くと、芹川に架かる大堀橋を渡ります
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河原や土手には菜の花や桜が咲いていて、春本番の風景ですね〜

この先は道幅が狭くなってクルマに注意しながらの歩きですが、途中には「左彦根道 右中山道」と刻まれた道標がありました
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そして、大堀橋から15分ちょっと歩き近江鉄道の踏切を渡ると間もなく高宮宿になります
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踏切の手前には高宮宿の碑と常夜灯がありました。

高宮宿
高宮宿は多賀大社の門前町と「高宮布」と呼ばれた上質の麻布の集散地として賑わった宿場で、中山道でも有数の規模を誇っていました。
今も道筋はほぼ当時のままで古い建物も多く残り、宿場町の雰囲気を味わいながら歩くことが出来ます。

近江鉄道の踏切を渡り、県道224号と交差する高宮町大北の信号を過ぎると道幅が狭くなって、高宮宿の古い町並みの中に入っていきます
雰囲気のある町並みですが、交通量が多く歩くのには周りに注意を払う必要がありました。
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県道交差点から5〜6分歩くと「座・楽庵」と書かれた古い建物がありますが、ここは元高宮布の問屋・布惣跡
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当時は7つあった蔵が高宮布でいつも一杯になるほどだったと言われています。
今はギャラリーと喫茶になっていて、ちょうど10時で開店するところでした。

布惣跡の前は高宮神社で、参道の桜並木は満開でした〜
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この先も古い町並みが続いていて、途中には昔ながらの提灯屋さんもあったりします
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宿場の中心部からは多賀大社への参道が分岐していて、入口には大きな鳥居があります
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これは多賀大社への一の鳥居で、江戸初期の寛永年間に建立されたもので、鳥居の脇には大きな常夜灯や道標も建っています。
鳥居は高さは11mもあって写真撮るのに苦労した(^^;
ここでぱらつく程度だった雨が路面を濡らすほどの降りになり、軒先にしばらく退避・・・

ちょっと待ったら雨はほぼ上がり歩きを再開、鳥居の少し先には松尾芭蕉ゆかりの紙子塚がある小林家の古い建物があります
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紙子とは紙の服のことで、1684年(貞享元年)の冬に紙子姿でこの小林家に宿泊した芭蕉は寒い夜に「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」という一句を詠んだそう・・・
後で芭蕉と知った小林家では新しい紙子を芭蕉に贈り、古い紙子は庭に埋め塚を造って大事にしたとのことです。

その先が本陣跡で、今は当時の表門のみが現存しています
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すぐ近くには脇本陣跡もあったけど、写真撮るのを忘れてしまった・・・

本陣跡の前には明治天皇が北陸御巡幸の時に宿泊した円照寺があります
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境内には明治天皇ゆかりの「止鑾(しらん)の松」や、徳川家康が大坂夏の陣に向かう途中に立ち寄った際に腰を下ろした「腰掛け石」がありますが、石ほうは何処にあるのか分からず、時間切れで移動・・・

そしてこの先、犬上川を渡る無賃橋の所が高宮宿の南端になります
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この橋は正式には「高宮橋」ですが、江戸時代に地元の豪商や一般の寄付で橋を架けた際に通行料を取らなかったので「無賃橋」の名が付いて、それが今でも交差点名にもなっています。

橋の袂には「むちんはし」と刻まれた標柱と、改修工事の際に発掘された地蔵尊を祀った「むちん橋地蔵」があります
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先ほど雨が本降りになったけど晴れ間と青空が・・・変わりやすい天気ですねぇ

高宮〜愛知川
高宮宿を出た旧中山道は犬上川を渡って、次の愛知川宿へと向かっていきます
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「むちんはし」の標柱は橋を渡った所にも建っていました。

この先は田園地帯と集落が交互の風景の中を歩いて行きます
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途中の葛籠町(つづら町)は、足利尊氏の子・足利義詮の側室がこの地で産気付き男子を出産したが、家臣の保護も叶わず亡くなり、側室は出家して尼になり菩提を建て、そして家臣は土着して「葛籠」を作って生計にしていたことから地名が付いたと言われています。
街道沿いには「産の宮」と呼ばれる若宮八幡宮がありますが、入口の井戸が「産の宮」と思って神社まで行かなかった・・・
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その先で街道が松並木になると、鳥居本宿入口と同じ「おいでやす彦根市へ」のモニュメントが建っていましたが、今度は「また おいでやす」と見送られて彦根市から次の豊郷町に入っていきます
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途中で休憩を挟みながら30分ほど歩くと、左手に豊郷小学校旧校舎が姿を現します
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広い前庭の奥に立つ校舎は昭和12年に当時の丸紅の専務・古川鉄治郎が私財を投じて建てられた校舎で、醒井宿の時にもちょっと紹介したヴォーリズの設計。
当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りで「東洋一の小学校」とも呼ばれていました。
十数年前に旧校舎の裏側?に現校舎が建てられましたが、建て替えを巡って町と住民が対立し町長のリコールにまで発展しました。
今は図書館などが入る町の施設となっていますが、アニメ「けいおん!」の舞台になってる高校の校舎のモデルになったことから有名になり、イベント時には「痛車」が集まるそうです(^^;

せっかくなので校舎の中へ入ってみると教室もそのまま残っていたり、階段の手すりに「ウサギとカメ」をモチーフにした飾りがあったりと、内部の造りにも凝っているのですね
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と、思っていたら廊下の向こうで人が行き交う気配があったので見ると、コスプレした人の集団が出て来たことは内緒(^^;

小学校を出てすぐにある八幡神社には「一里塚の郷 石畑」と「間の宿 石畑」の石碑、そして滋賀県名物の飛び出し坊や(万田工芸製)も建っていましたw
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この石畑地区には日本橋から百二十一里目の一里塚と、間の宿として立場茶屋があったそうです。

その先、豊郷町役場を過ぎるとこの地で名を馳せた近江商人で伊藤忠商事・丸紅の創始者、伊藤忠兵衛の生家があり記念館として開放されています
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このあたりで時間はお昼になりました。
近くに食事処もありましたが、とりあえず愛知川まで行って昼食も電車の待ち時間を見て調整することに。

さらに街道を進むと「金田池」と書かれた案内と井戸があります
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金田池はこの近くにあった湧水の池で飲み水や田畑に使われてきましたが、近年水脈が途絶えて埋め立てられてしまったとのことです。

その先には「又十屋敷」と書かれた大きな看板がある旧家があります
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ここは「又十」という屋号で営なみ、その後北海道で多くの漁場を開き廻船業で多くの財を築いた近江商人、藤野喜兵衛喜昌の旧宅になります。
看板の下には何故か「中山道一里塚跡」の碑が建っていました。

「又十屋敷」から数分行くと、宇曽川に架かる歌詰橋を渡ります
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橋を渡った所には宇曽川と歌詰橋の説明板が建っていて、そこには平将門を討った藤原秀郷が京に上がる時、この橋で目を見開いた将門の首が追いかけて来て、そこで将門の首に「歌を一首」と言うと、首は歌に詰まり土橋にパタリと落ちたことから歌詰橋の名前の由来となったという伝説が書かれていました。

橋を渡ると愛荘町に入り愛知川宿までは2kmほどになりましたが、雲も厚くなり風も湿気を帯びて来て雨も近そう・・・
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家並みが続く街道を20分弱歩くと沓掛の三叉路で、旧中山道は右側を入ります
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三叉路には古い道標が建っていて、道標が示す先の豊満(とよみつ)神社は近年ナイスボディを目指す女性の参拝が増えているとか(^^;

そしてしばらく行くと「中山道 愛知川宿」と書かれた冠木門風のゲートがあり、その先が愛知川宿になります
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ここで時間は12:45頃、愛知川駅発の次の電車は13:22で40分ほどあり、愛知川宿の見学は次回にして昼食を食べてから電車に乗ろうと思ったら、駅に行くまで食事処は予約制の割烹ぐらいしかなかった・・・
というわけで愛知川駅に着いてしまったので、そのまま米原行きの電車に乗って米原駅での新幹線の乗り換え時間で昼食を食べてから帰りました。
変わりやすい天気で途中でひと雨はあったけど、傘を差さずに済んで良かったです。

米原まで乗った近江鉄道の電車はこんなラッピング車両w
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愛知川からはJR能登川駅までのバスもあったのですが、1日乗車券を買えば朝の米原〜鳥居本の運賃と併せて少し安くなるので帰りも電車にしました。

今回から滋賀県内の歩きになり旧中山道歩きも終盤になりましたが、宿場はどこも雰囲気があって楽しめました
次回は東海道と合流する草津まで行って中山道の単独区間を踏破することになります。

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