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zoom RSS 日光街道歩き旅(第12回) 今市〜鉢石〜日光東照宮

<<   作成日時 : 2016/06/12 15:05   >>

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6月も半ばになりましたが、こちらは相変わらず2か月遅れで進行・・・
昨日の「ブラタモリ」もまだ桜が咲いていた時期の収録だったから良いだろう、ってわけではないけど、最低週1では上げていきたいと思います・・・

年明けすぐに今市まで歩いて、残り1回になった日光街道歩き。
最終回は同行してくれる友人と都合を合わせて、4月10日にいよいよ今市からゴールの日光東照宮を目指すことになりました。

当日は東武日光線の快速に乗り、下今市駅には9:03の到着
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天気は概ね晴れの予報で、この時期としては気温も高く街道歩き日和になりました。

まずは今市宿の入口、日光街道と例幣使街道の追分まで行って歩きをスタートです
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今市宿
今市宿は日光街道に例幣使街道と会津西街道が合流する交通の要衝として発展しました。
元々は「今村」という地名でしたが、宿場が整備されると市が立って賑わうようになったので「今市」と呼ばれるようになったそうです。
幕末に戊辰戦争の舞台になり町の大半が焼失した関係で、宿場時代のものはほとんど失われてしまっています。

例幣使街道と合流して宿場に入った街道筋は、今市の町の中心部を通っていきます。

追分から小倉町の交差点を過ぎた左手には天保年間創業の造り酒屋「渡邊佐平商店」が、右側には最近開設された道の駅「日光」があります
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そして、先に見える「かぬましんきん」のあたりに本陣があったそうです。
以前はアーケードの商店街でしたが撤去され、道の駅など新しい建物が出来てずいぶん印象が変わりました。

本陣跡の先に湧水の水場がありました
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今市の水は美味しいと言われていて、先ほど酒蔵があったし蕎麦屋も多いですね。

この先の路肩には道路元標が建っていますが、その向かい側から会津西街道が分岐しています
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今の会津西街道(国道121号)は、先に見える春日町の信号で分岐になります。

春日町交差点の先、市緑ひろばには「今市宿」と書かれた木柱が建っていました
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その先の浄泉寺の境内は桜が満開
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昨年のこの時期はずっと南の古河〜小山を歩いていて桜が満開だったので、今年は開花が早いのですね。

浄泉寺の先の瀧尾神社の前で旧日光街道は杉並木道に入りますが、このあたりが宿場の西入口になります
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今市〜鉢石
今市宿を出ると国道119号から分かれ、静かな杉並木の街道を歩いていきます。

杉並木に入ってすぐの東武上今市駅近くの街道沿いは「杉並木公園」となっていて、朝鮮通信使が使用した唐人屋敷跡や水車が2基つながった重連水車などがあります
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その先には難しい文字を使う「高龗(たかお)神社」があります
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今市には同名の神社が15社もあって、その中でもここの高龗神社が一番古いそうです。

高龗神社前の杉並木はカーブを描いて良い感じ
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この先10分ほど杉並木を歩いたあたりには、日本橋から三十四里目で両塚が現存しているという「瀬川の一里塚」があるはずですが結構探したけど見つけられず・・・
日光街道最後の一里塚なんですが、案内板も無くちょっと残念でした。。。

杉並木はその先の集落で一旦途切れますがすぐに復活、ここからしばらくは車両通行止めでのんびり歩くことが出来ます。
しばらく行くと「砲弾打込杉」と書かれた案内板が建っています
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左側の杉に戊辰戦争の時に官軍が放った砲弾の跡が残っているのですが、跡は写真の位置よりも上の方だったみたい・・・

さらに15分ほど歩いたちょっとした広場にある薬師堂の所には、枝垂桜がきれいに咲いていました
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ここには「日本の道百選」の標柱も建っています
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日光街道ではこの日光杉並木道と草加松原が「日本の道百選」に登録されています。

薬師道から10分ほど行った所で国道119号と合流
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ここからはJR日光線と並行して国道の歩道や路肩を歩いていきます。

ここも杉並木が一旦途切れてすぐに復活、しばらく行くと「並木太郎」と呼ばれる1本の杉があります
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高さ38mある巨木で、姿も美しいことから名付けられたそうです。

「並木太郎」から数分行くとあるのが、東北巡幸の折に明治天皇が休憩した「明治天皇七里御小休所跡」
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歩道が狭く引きが取れず、標柱ぐらいしか画面に収まらずでした。。。

この先、七里の集落を通り筋違橋を渡った所で左側に分かれる旧道に入り、さらに少し行ったJR日光線のガードの所で国道を横断します
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ここから再び国道に合流するまでは杉並木の小道をしばらく歩きます
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国道に合流すると日光の市内に入り、相生町の交差点を右に曲がるとJR日光駅の洋風駅舎が姿を現します
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そして、その先が日光街道最後の宿場・鉢石宿の入口になります。

鉢石宿
元々は東照宮建立前からあった輪王寺や二荒山神社の門前町で、日光街道開設後の1644年に宿駅として整備されました。
宿場は日光山に向かう坂道の途中にあるため、車道が整備される前は道が階段状に段差になっていました。
街道は今も日光駅から世界遺産になった東照宮など日光の社寺に向かうメインストリートで、観光客の姿を多く見かけます。

JR日光駅に続く相生町の交差点の先が鉢石宿の入口で、当時は木戸が設けられていました
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大沢宿手前から続いていた杉並木も終わり、山小屋風の東武日光駅の前を通ります
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ここまで来ればゴールも近いですが、お昼も近かったので駅前の食事処に入って昼食に

そして昼食を終え、東武日光駅前から日光街道のゴールに向けて歩き始めました
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しばらくは道も少し拡幅されて新しい町並みを歩いて行きますが、御幸町の信号を過ぎたあたりからは古い建物もちらほら見えてきます
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その御幸町にある日光郷土センターの前には、昭和43年まで走っていた東武日光軌道線の架線柱が残っています
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この架線柱は街道のルートを調べている時に目に止まったもので、今まで何度も通った道なのに気付かなかった(^^;
そして上の写真を撮った所の向かい側は、2軒あった本陣のうち1軒の入江本陣跡があります。

この先の上鉢石町あたりは結構な急坂
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このあたりには宿場名の由来になった「鉢石」があるのですが、思いっきりスルーしてしまった・・・

坂を上り切った所には徳川家康に仕えた僧で、家康の遺言通りに遺骨を日光に移した天海大僧正の銅像があります
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そしてこの先が大谷川、有名な「神橋」と並行に架かる「日光橋」が日光街道の終着点になります
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日本橋から約140km、ついに日光街道(日光道中)歩きのゴールです

最初の歩きから2年2か月あまり、途中は何もない国道をひたすら歩く所もありましたが、後半の日光杉並木では昔の街道歩き気分を堪能することが出来ました。

日光東照宮へ
街道としての日光街道はここで終点ですが、ここはやはり日光街道が整備された基になった日光東照宮に参拝して絞めることにしました。

日光街道の終着点の日光橋を渡ると東照宮などの寺社が集まる日光山に入りますが、その入口には大沢宿手前のものと同様の「杉並木寄進碑」が建っています
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寄進碑わきの階段を上ってから、輪王寺の脇を過ぎると東照宮の参道に出ます。
参道に出ると有名観光地とあって、多くの観光客で賑わっていました。

現在、東照宮は「陽明門」を始めいくつもの建物が修復工事中で見れない所もありましたが「三猿」や「眠り猫」など有名な彫刻は見ることが出来ます
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拝殿前にある修復工事中の「唐門」は、一部が完成してピカピカの姿を見せていました
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そして「眠り猫」の下を通って奥宮に上っていくと、徳川家康の墓所「奥宮御宝塔」に到着
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五街道で最初の踏破となった日光街道の歩き旅は、この「奥宮御宝塔」で五街道を制定した家康さんにお会いしてお開きになりました

その後、東武日光駅に戻って帰りも快速で帰るつもりが、空席があったので特急「スペーシア」を奮発(^^;
そして北千住で降りて、友人と軽く打ち上げをして帰りました。

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