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zoom RSS 中山道歩き旅(第26回・その1)愛知川〜武佐

<<   作成日時 : 2016/06/19 10:22   >>

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このところ街道歩きの紹介が続いているので順番を入れ替えようと思いましたが、それをやるとますます時期がズレていってしまうので、時系列に進めていくことにしました(^^;
ということで、今回はGW前の4月23日〜24日に出かけた滋賀県・愛知川からの中山道歩きを紹介していきます。

まずは東京7:33発の「ひかり503号」で米原まで行き、そこから近江鉄道に乗り換えて愛知川駅には10:58に到着
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東京を出る時はどんより曇り空で、現地の天気も曇りベースで夕方から雨の予報でしたが、西に向かうにつれて天気が良くなって青空が広がって来ました
1日目は愛知川から次の宿場の武佐まで歩いて、着いたら近江鉄道を少し乗り鉄しようかな?と(^^;
そのために、米原で1日フリー乗車券を買って乗って来ました。

ふと。。。ここで帽子と日焼け止めを持って来るのを忘れたことに気付く・・・
気温も結構上がって来ましたが、半袖にならなければそんなに日焼けしないかな〜と思いそのまま歩きをスタートしました。

愛知川宿
愛知川宿は東山道時代からの宿駅で、その昔は「恵智川」とも読まれていました。
これから向かう五箇荘は近江商人商人発祥の地の一つで、前回通った高宮宿と同様に上質な布の集散地として栄えました。
宿場内は当時の遺構は少ないものの、街道の雰囲気が感じられる町並みです。

愛知川駅から旧中山道に出て、前回ゴール地点の冠木門風のゲートから愛知川宿に入っていきます。
ゲートから2〜3分歩き、小さな橋を渡ると「愛知川宿北入口」と書かれた標柱が建っていました
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ここが本来の宿場入口のようですね。

さらに2〜3分歩いた交差点の角には小さな広場があって、中山道六十九次の浮世絵・愛知川のレリーフなどがあります
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この先が宿場の中心だったようで、旧近江銀行のモダンな建物のあたりが本陣跡、その先の八幡神社前が高札場跡になります
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愛知川宿内の街路灯は、中山道六十九次浮世絵に出てくる旅人が並んでいる凝ったものでした
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宿場の出口も近い御幸町にある立派な建物は、江戸時代には竹の子屋という旅籠を営んでいた料亭・竹平楼
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明治天皇巡幸の際に御休所にもなった所で、今も当時の部屋が残っているそうです。

そしてその先の不飲川の橋を渡った所が愛知川宿の出口で、入口と同様の冠木門風のゲートがあります
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愛知川〜武佐
愛知川宿を出るとすぐに国道8号に合流しますが、合流したすぐ向かい側には愛知川一里塚跡の石碑があります
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国道を少し行くと愛知川を渡る御幸橋で、その手前の祇園神社には大きな常夜灯があります
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この愛知川にも前回歩いた高宮宿と同じく無料の橋「むちん橋」が架けられていて、常夜灯は愛知川を渡る通行人の安全のために建てられたとのことです。

さて、こちらも愛知川を渡ります。近江鉄道の鉄橋も御幸橋と並行しています
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そして御幸橋を渡ると東近江市に、旧中山道は橋のすぐ先の交差点を左折します
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国道から分かれ近江鉄道の踏切を渡ると、対岸と同様の常夜灯がある分岐を右に入っていきます
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今の橋が架かる前は、ここから対岸の常夜灯に続く道筋だったのでしょうね。

しばらく行くと再び近江鉄道の踏切を渡ります
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ちょうど踏切が鳴って電車が通過して行きました(^^;

ここからは近江商人発祥の地の一つ・五箇荘に入っていきます
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先ほどの踏切からしばらく行くと、八日市を通り東海道の土山宿へと続く御代参街道との分岐があり道標が建っています
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道標には「右京みち 左いせ ひの八日市みち」と刻まれていました。

この先は常夜灯がある小さな公園の所を右に行き、その先の川を渡った所を左に曲がります
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東近江市五個荘支所のあたりの街道は、歩道も所々にあってのんびりと歩けました〜
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右の建物は元五個荘郵便局で、今は民家になっているようですが大正末期の建築で有形文化財になっています。

その先には大きな常夜灯の道標があり、ここにも「左いせ〜」の文字が刻まれていました
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背後は新幹線の線路で、N700系が通り抜けて行きました

この先県道209号との交差点の所には、茅葺き屋根の片山家住宅があります
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ここは大名などが休憩する茶屋本陣として使われていました。
ここでこちらも、近くにあったラーメン屋で昼食を取って一休み〜

このあたりは他にも茅葺き屋根の家があって、街道に沿った水路と相まって雰囲気のある道筋でした
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道はやがて国道8号に合流しますが、ここには天秤を担いだ近江商人のモニュメントが建っています
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近江商人は天秤を担いで全国を行商して財をなしましたが、それには中山道も重要な役割を果たしていたのでしょうね。

国道8号に合流した旧中山道はすぐに清水鼻の信号で左折、旧道に入った所には湖東三名水の一つ「清水鼻の名水」があります
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清水鼻には立場があって「焼米はぜ」なるものが名物だったそうです。

集落の途中で東近江市から近江八幡市(旧安土町)に入り、食料品店がある角を左折
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このあたり、飛び出し坊やがいっぱいありました(^^;

その先しばらく行くと国道に合流し、新幹線のガードをくぐります
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そして国道を少し進んで「奥石神社」の標識が出ている道に入っていくのですが、信号も横断歩道も無いので注意が必要です
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曲がり角には中山道の標識と標柱が建っていました。

国道から離れると、右側には老蘇の森と呼ばれる森が続いて、その中に先ほど標識にあった奥石神社があります
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参道の先にある本殿までは行かなかったけど、安土がおひざ元だった織田信長が寄進したものです。

ここから家並みが続く比較的単調な道を30分弱、西生来地区の少し開けた所にはこの時期らしくレンゲが咲いていました
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レンゲの先は麦畑かな?その先には国道8号を挟んで新幹線が走っています。

その先には醒井宿の西行水と同じような伝説がある「泡子地蔵」と「西生来一里塚跡」があります
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そして蛇沢川の橋を渡ると武佐宿の入口になりますが、旧中山道の橋がちょうど工事中で仮橋を渡って武佐宿に入っていきました
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武佐宿
武佐宿は近江商人の町として有名な近江八幡の隣町で、その近江八幡から伊勢に向かう八風街道が交差していたことから商人や物資が行き交い賑わった宿場だったようです。
明治に入り東海道本線の駅がある近江八幡の町は更に発展しましたが、宿場町の武佐はかつての賑わいからは取り残されたような静かな町並みです。

蛇沢川を仮橋で渡って街道に戻った所が宿場の入口で、大門跡の案内板があります
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大門跡に続いてあるのが牟佐神社で、ここに高札場がありました
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牟佐神社の少し先にある、現在武佐町会館になっている所が脇本陣跡で、大きな冠木門があります
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脇本陣跡のすぐ前にあるのは、明治19年築の洋風建築の旧八幡警察署武佐分署庁舎
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この建物は当時の洋風建築としては珍しく、日本人が設計したものとのことです。

その先国道421号との武佐町交差点には、武佐宿の説明板と常夜灯モニュメントがあります
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交差点を越えてすぐの所には宿役人を務めた大橋家の古い建物があります
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大橋家のちょっと先が本陣跡で、本陣門が現存しています
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ガイドには本陣跡の向かいに江戸時代から続く旅籠「中村屋」の記載がありましたが、最近廃業してしまったのか?建物が無く看板だけ残っていました・・・

本陣跡の先の十字路は八風街道との分岐で、角には道標が建っていました
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この先も静かな街道を5〜6分歩くと常夜灯と高札場跡の案内板があります
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高札場跡の先のカーブを曲がった所が近江鉄道の武佐駅で、このあたりが武佐宿の出口になります
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武佐駅に着いたのは15:10頃、時刻表を見ると15:17発の八日市行きが来るので、その電車に乗ることにして1日目の歩きは終了。
武佐宿の手前から徐々に曇って来ましたが、それまで晴れていたので結構日に焼けてしまった(^^;

その後は18:30頃まで近江鉄道を乗り鉄してから、近江八幡のビジホに泊まりました。

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